濱田雅子の服飾講座「服飾からみた生活文化」       シリーズ8

日時:2016年 2 月 7 日(日)  1:30~4:00

場所:ガレリアかめおか    3階第 4会議室 

〒621-0806 京都府亀岡市余部町宝久保1−1   

Tel 0771-29-2700

 

タイトル:フランス・ファッションのアメリカへの伝播

 

フランス革命はファッション史上にも新しい始まりを告げた。本講演では、このファッション大革命後の総裁政府時代(1795~1799)に誕生した風変わりなニューモードである

 “Merveilleuses”(メルヴェイユーズ)のファッションに着目し、このファッションがフランスからアメリカへどのような方法で伝播したのかという問題を通して、当時アメリカに住んでいたふたりのフランス人女性のアメリカ社会への融合、あるいはアメリカ社会における疎外という興味深い問題を考えてみようと思う。この問題を繙くに当たって、フランス革命によって、伝統的なフランス上流社会から失墜して、アメリカに移住してきたフランス人女性のジョゼフィーヌ・デュポン(Josephine du Pont)とアメリカ生まれではあるが、10年間、フランスでの生活経験のあるフランス人女性マーガレット・マニゴー(Margaret Manigault)との間に、1789年から1800年の間に交わされた30通の書簡を資料に用いた。

 ここで扱う書簡は以下である。

 

Betty Bright P. Low, Of Muslins and Merveilleuses: Excerpts from the letters of Josephine Du Pon and Margaret Manigault, Winterthur Portfolio 9, 1974, The Henry Francis Du Pon Wintertur Museum, pp.29-75.

 

 デュポン家はフランス革命から逃れてきたエルテール・イレーネ・デュポン( Éleuthère Irénée du Pont,フランスの重農主義経済学者デュポン・ド・ヌムールDu Pont de Nemoursの子)を始祖とし、彼がウィルミントンを流れるブランディワイン川畔に設立した火薬工場の発展とともに勢力を拡大していった。その後身であるデュポン社は現在アメリカ最大の総合化学会社に成長し、国際化学資本の一つとしてデュポン財閥の中核企業となっている。ジョゼフィーヌ・デュポンはこのアメリカを代表する大富豪の創始家族の一人であった。

 ジョゼフィーヌ・デュポン(1770-1837)は、ルイ16世の末の弟に使える父親を持ち、若い頃、ヴェルサイユ・ミリュに移り住んで、正式の貴婦人教育を受けている。そして、デュポン家の長男ヴィクトール・デュポンとの結婚(1794年3月)により、デュポン家の一員となる。デュポン家は1799年、フランス革命による失墜のため、ニューヨークへ移住する。

 マーガレット・マニゴー(1768-1824)の夫ガブリエル・マニゴー(Gabriel Manigault)の先祖は、ユグノーの逃亡者として、フランスからアメリカのサウス・カロライナの首都チャールストンに移住してきており、奴隷を使った大規模なプランテーションを持つ農園主で、米と綿花を主要作物として栽培していた。マニゴー婦人もチャールストンへ移住後、大プランターの妻としてのゆるぎない地位を築いたのである。

 本講演では、上記の二人のフランス人女性の間にかわされた貴重な書簡を分析することにより、ファッションの伝播において、これらの書簡がどのような役割を果たしたのか、また、彼女たちのファッション観や価値観や意識構造は果たしていかなるものであったのか、という問題を究明する。

参考文献 濱田雅子著『アメリカ服飾社会史』(東京堂出版、2009)第4章

                      (文責 濱田雅子)

          目 次

第1章 北アメリカの自然と衣文化

第2章 プランテーションの衣文化

第3章 アメリカらしさの萌芽

第4章 フランス・ファッションへの憧憬

第5章 ローウェル工場の日々

第6章 西部開拓時代の衣生活

第7章 家庭裁縫から既製服生産へ

                         ―1840年代~1920年代のパターン・システム―

第8章 衣服大衆化の時代