濱田雅子の服飾講座「服飾からみた生活文化」シリーズ3

日時:2014 年 6 月 14 日(土) 1:30~3:00

場所:京都府国際センター 京都駅ビル 9 階  

Tel & Fax 075-342-5000

 

タイトル:南蛮服飾を通してみた東西文化の交流

 

Ⅰ 丹野 郁著『南蛮服飾の研究 ー西洋衣服の日本衣服文化に与えた影響ー』(雄山閣、1976年)との出逢い

 濱田が恩師 丹野郁博士の学位論文である本書に出逢ったのは、1981年12月に「丹野郁服飾研究所」にて、西洋服飾史セミナーに参加させていただきはじめて間もなくの頃である。本セミナーへの参加のいきさつは以下の通りである。

パートや下請けで携わっていた低賃金、深夜労働の洋装界の仕事を辞めて、研究を再開するきっかけを下さったのは、日本大学の和田典子先生である。当時、東京都品川区の下神明に住んでいた濱田は、たまたま区の広報で知った旗の台の公民館で行われた「働く婦人の講座」に参加した。講師は日本大学の和田典子先生で、洋装界の労働の過酷さについて打ち明けたところ、丹野郁先生のご連絡先(電話番号)を記されたメモを下さった。さっそくお電話を差し上げ、以来、1986年3月まで池袋の「丹野郁服飾研究所」に通うことになる。そして、同年、4月に武庫川女子大学大学院家政学研究科(修士課程)に入学した。指導教員は丹野先生である。

丹野先生は、濱田が研究所に通い始めて間もなく、「濱田さんはアメリカ史のバックグラウンドがおありなので、アメリカ服飾史を研究して、論文発表をされると良いですよ」という貴重なアドヴァイスを下さった。濱田は師のご助言をいただいて、すぐにアメリカ服飾史研究に着手した。そして、確か、1982年1月のことである。資料収集のため、永田町の国会図書館に赴いた。アメリカ服飾史の研究書は皆無であった。だが、丹野先生の「『南蛮服飾の研究 ー西洋衣服の日本衣服文化に与えた影響ー』(雄山閣、1976年)との出逢いは、感無量であった。本書は絶版だと知り、図書館から、すぐに先生にお電話を差し上げ、本書の全ページコピーの許可をいただいた。帰宅後、一夜にして、無我夢中で読破。それから製本屋に出して、製本してもらった。今も書斎のブックマンに大切に保管している。幸いなことに、本書は1993年に雄山閣から再版された。高価な本であるが、再版と同時に購入した。

院生時代に、学外実習として大阪南蛮文化館を訪れた。また、第8回国際服飾学術会議とポルトガル・スペイン服飾研修旅行で、リスボンの「古美術館」の南蛮屏風を観る。その後、古美術館のメンデス・ピント館長ご夫妻が来日された時には、濱田が南蛮美術館をご案内させていただく。

2004年と2005年の秋に、丹野先生の後任として、装道礼法きもの学院名古屋校で「西洋服飾史―東西文化交流の視点からー」というテーマで、講演を依頼された。その内容には「南蛮服飾」も含まれており、丹野先生は貴重なスライドのコピーを許可して下さった。

濱田は南蛮服飾研究の専門家ではないが、上記のように、丹野先生の元で南蛮服飾について、学ばせていただく機会にめぐまれ、大学の講義のシラバスにも取り入れてきた。

6月のGlobal Sessionではアメリカ服飾関係のテーマでの講演を考えていたが、共催のOffice Com Juntoの児嶋様から是非、南蛮服飾について話してもらいたいとのリクエストがあった。

そこで、本講演では僭越ながら、丹野郁博士のご研究を紹介させていただき、先生が残された研究課題についてもお話しさせていただきたいと思う。以下の概要は丹野先生が武庫川女子大学大学院家政学研究科の授業で配布された資料を、「ですます調」にし、本講演の流れに沿って、順序をアレンジさせていただいたものであることをお断りしておく。

 

Ⅱ 概要

1.南蛮人渡来とファッション革命

 古来、わが国の服飾文化は、外来文化の影響を受けて発展してきました。古くは大陸、特に中国文化の影響を、そして戦国時代末期に突如として渡来した西欧文化の刺激を受けました。日本人が初めて西欧人に接したのは16世紀後半に来日した、いわゆる南蛮人(ポルトガル人)でした。彼らは、周知の通り、キリスト教の布教と貿易とを目的として、往復2年余を費やして定期的に、約1世紀にわたって日本へ渡来したました。南蛮人の渡来は、精神的にも物質的にも先進国のさまざまな文化をもたらし、日本の歴史に大きな飛躍を与えたという点で重要な出来事といえます。

 ポルトガルが世界を制覇する勢いで海外飛翔を行っていた、いわゆる大航海時代は、日本にとっても西欧風俗に初めて出会った覚醒の時期でした。

 天正遣欧使節を含む南蛮人一行が長崎に到着し、秀吉のため「ミヤコに到着すると、一行の通る街路という街路に悉く数限りない人が埋まって、きらびやかに飾り立て華やかな衣服を身に纏い、整然たる行列でミヤコに入って行く異様の見知らぬ人々を観て皆喫驚した。されば、一行の一人一人を天より降下した仏、即ち、パゴデ(pagode)のようだというた」と、宣教師ルイス・フロイスは当時の状況を述べています。日本人が彼らの美麗豪壮な装いを見て、いかに驚嘆したかは想像に余りあります。それゆえにこそ、日本人が描いた南蛮屏風には異国人の服装が、驚くほど克明に周密濃厚な描写で表されているものと思われます。

 南蛮風俗の流行が、天正遣欧使節の帰朝(1590年)以後熱狂的になったことは、歴史家マードック(Dr. James Murdock)も指摘しているが、この現象は16世紀末期ごろから17世紀はじめにかけて、まさに南蛮ファッションとして権威をもちながら普及し、異国憧憬の気運をかき立てながら、日本人の生活観さえ変えてゆくのでした。

 南蛮ファッションは何よりも衣服に顕著でした。呼称、形、材料、装飾、さらに着方に至るまで競って異国調を取り入れました。じゅばん、カルサン、カッパ、メリヤス、ビロード、ボタンその他今日まで残るポルトガル語由来の名称は少なくありません。これらは日本人がものめずらしげに着ているうちに定着したもので、南蛮人は、実に、ファッション革命を日本にもたらしたともいえます。

 したがって、南蛮的要素は鎖国に入ってからも根強く潜在し続け、今日に命脈を保っているのです。というのも、南蛮服飾は外観の奇抜豪華さに加えて、機能性もありましたので、一般庶民の生活まで広くゆきわたったものと考えられます。

 

2.南蛮服飾とは

南蛮服飾には次の2つがあげられます。

(1) 南蛮貿易時代に外国人が身に着けていた服飾品、または外国から将来されたと思われる服飾品のこと。

(2) 外来服飾の影響を受けて変容した日本服、すなわち、何らかのかたちで西欧的または南蛮的要素を含む日本服のこと。

 

3.南蛮人の服装

南蛮人の主要な衣服は、上衣(ジバン)、脚衣(カルサン)、靴下(メイヤス)、外衣(カパ)です。

 

4.ポルトガル語由来の日本語

ジバン→じゅばん(襦袢)

カルサン→カルサン(軽衫)

カパ→カッパ(合羽)      

メイヤス→メリヤス(目利安、莫大小)

ヴェルード→ビロード(天鵞絨) 

ボタン→ボタン(釦)

ラシャ→ラシャ(羅紗)

 

5.遺品に見る南蛮服の特徴

A. 上衣

(1) 伝加藤清正着用 熊本市本妙寺所蔵上衣

(2) 伝細川忠興着用 熊本市島田家所蔵鎧下

(3) 伝細川家宣着用 静岡市久能山東照宮所蔵鎧下

(4) 伝細川頼宣着用 和歌山市紀州東照宮所蔵の襞衿・鎧下

B. 脚衣

(1) 伝徳川家康・頼宣着用 和歌山市紀州東照宮所蔵カルソン

(2) 伝織田信長着用 近江・風土記の丘資料館所蔵革袴

(3) 伝上杉謙信着用 米沢市上杉神社所蔵革袴

(4) 伝三澤初子着用 仙台市博物館所蔵カルソン

   (伊達正宗の愛妾)

C. カパ(套衣)

(1) ビロード製套衣 牡丹唐草紋様 米沢市上杉神社所蔵

(2) 濃緑羅紗マント 仙台市博物館所蔵

 

6.日本衣服への影響

(1) 日本人の服装観の変革(肌着、外出着の着用、機能性の導入)

(2) 呼称(じゅばん、カルサン、カッパ、メリヤス、ビロード、ボタン、ラシャ等)

(3) 斬新なデザイン(曲線裁ち、金モールやフリルなどの装飾手芸)

(4) 新奇な材料、染料の導入(西欧または南方諸国より)

(5) ボタンとボタンホールの出現

 

7.今後の研究課題:ポルトガル人の立派な服装はどこで整えられたか。

   

参考文献

・丹野 郁著『南蛮服飾の研究』(雄山閣、1976年,1993年)

・『週刊 日本の美をめぐる No.30 桃山1 織田信長と南蛮屏風』(小学館、2002年11月)

・岡 美穂子著『商人と宣教師 南蛮貿易の世界』(東京大学出版会、2010年11月)

                     (文責 濱田雅子)