濱田雅子の服飾講座「服飾からみた生活文化」     シリーズ12

日時:2017 年 8 月 20 日(日)  1:30~4:00

場所:ガレリアかめおか     2階研修室

〒621-0806 京都府亀岡市余部町宝久保1−1   

Tel 0771-29-2700

 

タイトル:先住アメリカ人の歴史と衣文化ープエブロ族とナバホ族の居留地におけるフィールドワークからのレポートー

 

概要

l  はじめに

ネイティヴ・アメリカンの服飾文化と生活文化に興味をもった動機ですが、それは以下のようです。拙著『アメリカ植民地時代の服飾』(せせらぎ出版、1996年)ではヨーロッパの白人の服飾文化のアメリカ大陸への移入とその後の変遷過程を扱いました。だが、白人植民前から先住民が住んでいたわけですから、彼らネイティヴ・アメリカンの服飾文化を知らずして、アメリカの服飾史や現在のアメリカン・ファッションの本質把握は難しいことに気づいたのです。

現在、私たちを取り巻いている国際情勢を考えますと、アメリカという多民族国家の成り立ちを知らなければならないのではないでしょうか。本講演が、アメリカの歴史を知る一助となれば幸いです。

さて、我が国では、先住アメリカ人に関する歴史研究は多数見られるのですが、服飾研究は皆無です。

彼らが形成した文化圏は10の文化圏に分類されています。それらは南東部文化圏、北東部文化圏、大平原文化圏、南西部文化圏、大盆地文化圏、高原地帯文化圏、カリフォルニア文化圏、北西海岸文化圏、亜北極文化圏、および北極文化圏です。

 そこで、10の文化圏のなかから特に代表的なものとして、17世紀から20世紀の南西部文化圏のプエブロ族とナバホ族の生活文化とテキスタイル文化を取り上げ、文献研究とフィールドワークによって、その実態を調べて、歴史的に考察いたしました。

 国立民族学博物館の収蔵品の調査は2001年4月26日および10月1日に実施しました。また、アメリカ南西部のアリゾナ州ツーソン市に所在するアリゾナ州立博物館およびアリゾナ歴史協会における調査期間は、2005年4月27日から5月4日の期間です。同年4月28日から31日の4日間、ツーソン市のFirst Light Creative Centerで開催されたナバホ織物の講習会に参加し、現在、活躍中のナバホの織手のBarbara Teller Ornelasさんからナバホ・ラグの織り方の技術的指導を受け、作品の製作に取り組むことができました。また、2006年6月24日から30日にプエブロ族およびナバホ族の居留地におけるフィールドワークを行いました。本講演では現地取材と映像をご覧いただきながら、これらの調査結果と分析結果の報告を行います。

 

l  プエブロ族の歴史的背景

プエブロ族はアリゾナ州とニュー・メキシコ州に住んでいます。本研究では、リオグランデ川流域に住むプエブロ族をニューメキシコ・プエブロ族と呼び、アリゾナに住むプエブロ族をアリゾナ・プエブロ族=ホピ族と呼んでいます。プエブロ族のうちニュー・メキシコ西部とアリゾナに住むズニ族とホピ族の社会が母系制社会であるのに対して、リオグランデ河流域に住む東のプエブロ族は父系制社会を構成し、多数の先住アメリカ人居留地に分かれて居住しています。それぞれの地域には、(1)Uto-Aztecan(2)Puentian(3)Keresan(4)Tanoan-Kiowanという四言語の部族が存在しています。しかしながら、彼らは全て同種のプエブロ族として生活を送っているのです。

 2006年6月27日、ホピ族のメサの居留地において、織物の調査を実施しました。調査地はアリゾナ州ホテヴィラ(Hotevilla)です。ホピ族の長老であるマーティン・ガスウィスーマ(Martin Gashweseoma)氏が研究目的であることを了解の上、インタヴューに応じてくれ、男女の儀式用のベルトおよびキルト(巻きスカート)の調査の機会を得ることができました。マーティン氏は当時、83歳、2015年に他界されています。マーティン氏の国連での演説『ホピの予言』は7か国語に翻訳されています。プエブロ族の居留地での撮影は禁じられていますが、マーティン・ガスウィスーマ(Martin Gashweseoma)氏は特別に撮影を許可して下さいました。

 

l  ナバホ族の歴史的背景

ナバホ族は合衆国内の先住アメリカ人としては最大の居留地と居留地在住の先住アメリカ人人口をもつグループで、人口は約30万人です。アリゾナ州東北部、ニューメキシコ州西北部、ユタ州南東部にまたがる居留地に居住しています。アサバスカ語系に属し,この語族の一部がおそらく700年位前に故地カナダ北西部地方から南下して、現住地に定着したものと推定されています。先住のプエブロ族やホピ族から農業を、スペイン人から羊・山羊の牧畜を学んでナバホ族となり、他の一部はアパッチ族となりました。基本となる社会単位は核家族で、約60の母系拡大家族を基礎として、独自の文化と生活を築きました。

 ナバホの大地は茫漠としています。私たち一行はこの茫漠とした大地をジープで走りました。運転をしてくれたのは村田里利さんという、当時、サンタフェ在住13年の日本人女性です。ナバホ・ネイションのシンボルはモニュメント・バレーであり、アメリカ西部の原風景と言われ、「駅馬車」「黄色いリボン」「荒野の決闘」「アパッチ砦」などの多くの西部劇の舞台となっています。

ナバホの国には多くの遺跡が点在しています。現代に生きるプエブロ族がかつて住んでいた場所です。キャニオン・ドゥ・シェイはナバホ名ではツェイイ・エツォです。「岩の間の大きな渓谷」であり、シェイという名前は、このツェイイがスペイン語風に訛ったものです。細い一条の流れと緑で被われた広い川岸、そして赤い岸壁。ナバホがスペイン軍やアメリカ軍から逃げるときに、いつも最後にやってきたのがこの谷なのです。この柔らかい渓谷はナバホにとっての母の胎内であり、現在も豆、メロン、カボチャ、桃が作られています。

 講演ではナバホ族のラグの実物をお目にかけます。

                                                         (文責 濱田雅子)

 

本講座は京都新聞(2017.8.12)に                紹介されました。